人生の言葉 3

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    当店の会計はTKCのコンピューター会計で集計していただいております。

    ・・・と言っても、一般の方には、何のこっちゃの話になってしまいますね

    なので、深追いはしません。

    何が言いたいのかといいますと、
    そのTKCの会計システムに加入していると、毎月一回「ビジネスワンポイントNEWS」というビジネスに役立つポスター(?)がいただけます。

    そこには、社会人としてのマナーが載っていたり・・・
    ビジネスに役立つ法律が載っていたり・・・
    毎回、経営者にとって役立つ情報が載っているのです

    しかし、日頃仕事に追われていると、あまりマジマジとは読んだり出来ないもので・・・
    なんとな〜く、私の机の隣に、ひっそりと張られておりました


    そんな、昨日。
    パソコンをいじりながら、ふと目に飛び込んできたのが・・・
    「ビジネスワンポイントNEWS 9月号」

    9月号では、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」が取り上げられておりました。

    雨にも負けず・・・風にも負けず・・・の、あの詩です。

    しかし、そこまでは皆誰でも知っていると思いますが、
    その先は知らない方、もしくわ忘れてしまった方も、多いかもしれません。

    この「雨ニモマケズ」。
    丁寧に読み返してみると、人生の指針と言っても過言ではないくらい、素晴らしい詩なのですね。
    何とも見入ってしまいました。
    そういえば・・・学生の頃の教科書に載っていたような・・・
    あの頃は、何とも思わなかったのに、今になって心に響いてくるとは思いもしませんでした
    35歳になって、ようやく良し悪しの判断がつくようになり、「雨ニモマケズ」の詩の良さが理解できたのでしょう
    ちょっと、遅い気もしますが・・・

    ということで、今更でお恥ずかしい話ですが、とってもよい詩だと思いましたので、皆様にもご紹介したいと思います。


    「雨ニモマケズ」 
     宮沢賢治

    雨にも負けず

    風にも負けず

    雪にも夏の暑さにも負けぬ

    丈夫なからだをもち

    慾はなく

    決して怒らず

    いつも静かに笑っている。

    一日に玄米四合と

    味噌と少しの野菜を食べ

    あらゆることを

    自分の勘定に入れずに

    よく見聞きし分かり

    そして忘れず。

    野原の松の林の陰の

    小さな萱ぶきの小屋にいて

    東に病気の子供あれば

    行って看病してやり

    西に疲れた母あれば

    行ってその稲の束を負い

    南に死にそうな人あれば

    行ってこわがらなくてもいいといい

    北に喧嘩や訴訟があれば

    つまらないからやめろといい

    日照りの時は涙を流し

    寒さの夏はおろおろ歩き

    みんなにデクノボーと呼ばれ

    褒められもせず

    苦にもされず

    そういうものに

    わたしはなりたい。





    なぜ、この詩が若い頃の私の心に響かなかったのかは、なんとなくわかります。
    「そういうものにわたしはなりたい。」
    「そういうもの」と言われる人物像からは、魅力が感じられなかったのです

    「慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている。」
    こんな人物になりたいとは、断じて思えなかったのです

    若い頃というのは、自己主張が激しく、個性的で、チャレンジ精神が旺盛です。
    私も、勢いだけで生きていました。
    自分は特別な人間だと勘違いし、特別な生き方がしたいと常に思っていました

    しかし、年齢を重ねるにつれて、身の丈を知るというか・・・
    自分の可能性というものが、意外と少ないのだと、肌で感じるようになってきたのです

    そして、特別な生き方という、漠然とした妄想に魅力を感じることが無くなり始め・・・
    やがて、普通に生きる事の大変さに気が付き始めたのです。

    普通に生きることは、非常に大変なことなのです。

    私は、いつの間にか、人間らしく普通に生きていく人に、尊敬の念を持ち始めていったのです。




    「慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている。」

    「あらゆることを 自分の勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず。」

    「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き」

    「みんなにデクノボーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず」



    そういうものに、私もなりたいと思いました。






    プレッシャー

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      最近、朝が辛いです

      まぶたが腫れ、体がダルい

      そして何より、背中の激しい痛みに襲われております・・・

      実は、この現象は毎年の恒例でして、今くらいの時期から秋口にかけて、必ず発症します

      もう毎年のことなので、自分自身、驚きもしなくなってしまいました

      自分なりに、原因を考えてみると、何点か浮かび上がります。

      ・前半に飛ばし過ぎて、知らず知らずに無理を重ねていた体が、ちょうどこの頃に症状となって現れる。
      ・一年の半分以上が経過し、来年のプレッシャーを感じ始める。
      ・この時期に、新しいサービスや企画を立ち上げることが多く、目に見えない疲れが蓄積される。

      ざっとこんな感じでしょうか・・・

      体の疲れはもちろんありますが、それ以上に、常にプレッシャーとの闘いがあり、徐々に疲弊していると思うのです


      ダイハツ保原という会社は、一見すると順風満帆です。
      運がよく、簡単に、拡大してきた会社に見えるかもしれません
      ましてや、私は、バイクを乗り回し、好き勝手に趣味に講じているようにしか見えないと思うのです(笑)。
      苦労など知らない、アホ社長
      そんな風に思われても仕方がない部分も多々ありますが・・・(笑)、実際にはそれなりの苦労を体験してきております。
      そんなに甘い世の中ではないことは、今の時代、小学生だって知っていると思います。

      常に、悩み、苦しみ、もがき・・・それを繰り返してきました。
      そして、今現在もそうです

      今まで、どんなに改善に改善を重ねても、問題が無くなることはありませんでした。
      解決しても、新たに、次から、次に問題はやって来ます。
      「問題が無くなるのは墓場だけだ」と、何かの本に書いておりましたが、まさしくそんな感じがします
      会社が成長していくということは、そういうことなのでしょうかね〜
      私には、「終わりの無いマラソン」にしか思えません


      そして、成長する毎に大きくなっていくプレッシャー。
      どこからプレッシャーを感じているのかすら、自分でもよくわからないのですが・・・
      実際問題、それが私の体を蝕むこと、蝕むこと



      会社の成長。
      その代償というか、爪痕として、私の身体がボロになってきているのかな?
      なんだか、そんな風に感じてしまいます。

      なんだか、暗い話になってきましたね


      勘違いしないでいただきたいのは、こんな話をしていると・・・
      「社長、精神的に参っているのかな?」
      とか、
      「会社の経営が、ひっ迫しているのかな?」
      とか、思われがちですが・・・

      そんな事はないですよ

      何が言いたいのかというと、どんな事でも、楽しいだけではないという事でして・・・

      逆に言えば、「苦しい事を知らずして、本当の幸せは見つけられない」

      ということなんです

      平凡な人間である私には、プレッシャーを跳ね飛ばす精神力など持ち合わせておりませんし、
      一気に、全ての問題を解決するための知識もありません

      ですから、これからも、プレッシャーとは上手に付き合っていかなければなりませんし、
      数々の問題は、一つ一つ、丁寧に解決していかなければならないと思っております


      プレッシャーや、様々な問題のおかげで・・・
      休日にバイクを走らせた時の風が、気持ちよく感じるのならば、それはもう苦労ではないような気がします。

      幸せの一部かな?


      そんなことを考えながら、今日も背中の痛みに耐え、仕事に邁進しているのでした










      おもてなしが放射線数値を下げる?

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        ダイハツ保原の営業時間は9時から18時です

        しかし、私達スタッフは、8時までに出社するのが決まりとなっております。

        一時間も早くに出社して、何をしているのかと言いますと・・・

        掃除をしております

        しかも、簡単な掃除ではありません。

        毎日が、大掃除(笑)

        展示場に置いてある中古車、新車は毎朝洗車しております。

        工場にある設備や機械工具もキレイに片付けます。

        ショールームでは、床のモップがけはもちろん、テーブルやイスもキレイに水ぶきし、大きなガラスも業者さんに任せるわけではなく、自分達でキレイに磨いております。

        通常、どんな会社でも掃除は必ずするものだと思いますが、ここまで本気になって掃除する会社は珍しいのかもしれません。

        しかも、オープン以来、毎日欠かさず続けてきたのでした

        どんなことでも、単発でならできるものだと思いますが、毎日継続して続けるのは大変なんですよねぇ〜

        しかし、ダイハツ保原の掃除は、これが当たり前になっており、これが普通の感覚です。
        ですから誰も、大変だなんて思っておりません。
        特別なことをしている感覚もないのですね

        稀に、お客様だったり、通りがかりの方から、お褒めの言葉をいただくので、「うちの店の掃除は凄いのかな?」と、ようやく実感するくらいなのです。

        そもそも最初から、「凄い掃除をやろう」と思って始めたわけではなく、「お客様にとって居心地のよい店舗にしたい」と考えていたら、自然と掃除のボリュームが増えていったのでした。
        私達にとっては、自ずと導き出された答えのようなもので、極めて自然なことだったのでした


        さて、そんなある日・・・

        放射線測定器を持って、ダイハツ保原の敷地内を測りに来てくれた方がいらっしゃいました。

        取引先の方で、営業で歩くついでに、そのお店の放射線を測ってくれているとのこと。

        さっそく測ってもらうと、驚きの数値を記録しました

        0.37マイクロシーベルト。

        伊達市として発表されている放射線の数値は、日によって違いますが・・・
        現在おおよそ、1.0マイクロシーベルトくらい。

        ダイハツ保原の敷地内は、それに比べるとはるかに低い数値となります

        その後、別の取引先の方や、町内会の方が来て、
        何度か測っていただいてますが、1.0マイクロシーベルトを超える値になったことがありません

        町内会の方などは、周囲と比べて、極端に低い数値にビックリされて帰られたようです。


        なぜ、当店の敷地だけ、放射線が低いのか・・・
        車を洗う、高圧洗浄機でアスファルトの部分を洗浄し、排水溝も定期的に洗浄しておりましたので、
        おそらくなのですが、毎朝の掃除が影響しているように思います

        これも、私達からすれば、「お客様をキレイな店舗でお迎えしたい」という、最低限のおもてなしのひとつとしか思っておりませんでした。
        それが結果的に、放射線の数値を下げる役割につながるなんて、夢にも思わなかったのです
        「一石二鳥」
        お客様にとっても良いことですし、ここで働くスタッフにとっても良いことだと思います


        「おもてなしにより放射線の数値が下がる」
        日頃の取り組みが、未曽有の災害時にも役立つのであればそれに越したことはありません。

        特別な結果を手に入れたければ、
        特別な取組みを継続しなければなりません。
        継続するうちに、特別を特別と感じなくなり、
        特別な結果が訪れても、特別と感じなくなります。

        ↑これ、どんなことにも言えるのだと思います。

        そして今回もまた・・・実感したのでした









        ふるさとに放射能が舞う 3

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          私の母の実家は、富岡町に存在します。
          小学生の頃、夏休みになるとよく連れていってもらいました。
          半月くらいホームステイさせてもらい。
          いとこやその友達・・・たくさんのちびっこが集まって
          海に行ったり、山に行ったり・・・
          自然の中で遊びました。

          クワガタや、ザリガニなどはそこら辺にたくさん居て
          よく捕まえて遊んだなぁ・・・

          Tシャツに短パン、麦わら帽子にビーチサンダル。
          宮崎駿の映画に出てきそうな・・・
          本当にそんな光景でした。

          先日、その富岡町に住んでいたおじさんが、福島市の私の自宅に避難してきました。
          地震の後、つなみに襲われたそうですが、不幸中の幸いか、自宅が高台にあるために全壊は免れたそうです。
          しかし、福島第一原子力発電所からの放射能漏れにより、避難区域に指定され、避難してきたとのことでした。

          急いで避難したため、着のみ着のまま・・・
          大切な物など、何も持って来れなかったそうです。
          特に、母の両親の位牌を持って来れなかったことを、非常に悔やんでおりました。

          現在も富岡町は立ち入り禁止区域となっているために、自宅に戻ることができません。
          落ちてしまった瓦の応急修理もできないために、今頃自宅は、雨漏れして使い物にならなくなっているかもしれないと言っておりました。


          今回の震災で福島県は、地震とつなみにより、大きな損害を受けました。
          しかし、他の被災地と決定的に違うのは、そこに原発が存在したことです。

          放射能漏れはあきらかに人災であり、防ぐことができた事故だと思っております。

          本当に悲惨な災害でしたが、これが天災だけなら、まだ救われたのです。

          しかし、そこに人災が加わり、福島県全域に放射能が舞ったとなると、復興への道のりは、かなりの困難を極めるでしょう・・・

          現に、震災後すぐに復旧の動きが見られたのですが、放射能のせいで屋内退避になったり、その風評被害のせいで、仕事を奪われた人が沢山存在します。

          それでなくとも、元の福島県を取り戻すためには、莫大な人的エネルギーが必要とされるのに、手かせ足かせを付けられた状態で、挑まなくてはならなくなったのです。



          農家の方々が丹精を込めてつくった、野菜や果物が・・・米や牛乳が・・・・
          放射能という、目に見えない物質のために、廃棄処分となりました。

          汚染水を海に放出したために、魚が売れなくなり
          漁師が海に出られなくなりました。

          福島の木材が・・・鉄が・・・・車まで・・・
          敬遠されているのです。


          教えてください。
          富岡町で、クワガタや、ザリガニをとり、子供達が安全に遊べるようになるには、後何年かかりますか?

          日本全国・・・
          いや、世界中に植えつけられた「放射能=福島県」というイメージは何年経過すれば元に戻りますか?


          都会と地方の格差が問題になっても・・・

          こつこつこつこつ・・・

          若い人たちが、都会に出てしまい過疎化が進んでも・・・

          こつこつこつこつ・・・

          ふるさとを愛し
          先祖の土地を守り

          こつこつこつこつ・・・

          真面目で、勤勉な、福島県民・・・
          これほど、愛してやまない福島県に・・・

          「ちくしょう ちくしょう ちくしょう・・・」

          ふるさとに放射能を振らせやがってぇ・・・・



          ミリシーベルト?、マイクロシーベルト?、

          「人体に影響がありません」

          専門家がテレビで頻繁に訴えておりますが、そんなことよりも

          福島の美しい風景や、土、水、草木や花々・・・
          さらに美しい思い出、そこに生きる人々・・・

          幾万もの思い入れのあるこの土地に、得体のしれない物質を降らされた・・・

          私は、そちらの悲しみの方が強いのです。


          人災とは、人間に起因する災害の事です。
          正しく、今回の福島第一原子力発電所の事故は、一部の利権の絡んだ、怠慢な人間達が作り出した人災なのではないのでしょうか。

          しかし、こんな絶望的な状況から救ってくれたのも、また人間だったのです。

          テレビのニュースで、わざわざ、福島県産のホウレン草を買ってくれている人がいることを知りました。

          原発で、命がけで作業してくれている人達がいることを知りました。
          さらに、日本のために、志願者が後を絶たないことを知りました。

          風評被害のために、救援物資が届かない、いわき市へ、
          お笑い芸人の江頭さんが、自ら2tトラックを運転し、運んでくれたと知りました。
          さらにその物資は、江頭さんが借金をして購入してくれた物だと知りました。

          多額の義捐金を寄付してくれてたタイは、さらには発電機2機を無償で貸出し、
          日本大使館がお礼の新聞広告を掲載しようとしたら、広告料も受け取ることがなかったと知りました。


          被災してからというもの、何度、胸を込み上げるような感動をしたことでしょう。
          何度、励まされ、勇気をもらったことでしょう。

          被災しなければ、これほど多くの人の温かさに触れることは、なかったかもしれません。


          東電の幹部への怒りは、この先、簡単に消えることはないでしょう。
          頭では、怒りからは何も生まれないということは理解しているつもりです。
          それでも、イチ福島県民として許せない気持ちでいっぱいです。

          しかし同時に、支援していただいた人への、感謝の気持ちも沢山持っているのです。

          人に苦しめられ
          人に助けられ

          人に陥れられ
          人に救われる

          まるで、人生の縮図のようです。


          これからどうしたらいいのだろう。
          先の事など考える余裕などなく・・・
          今の事だけで精いっぱい。

          福島県民の全員が、そんな気持ちだと思います。

          それでもまた、こつこつこつこつ・・・

          元の福島に少しでも近づくように・・・

          ただ、黙々と・・・

          壊れたレンガを積み上げていきましょう。


          歴史上、復興しなかった震災はありません。

          さらに、私達日本人は、何度も何度も窮地に陥る度に、立ちあがってきました。


          天災も、人災も・・・

          納得のいかない気持ちも・・・

          感謝の気持ちも・・・

          全てを、胸にしまい込んで・・・



          がんばろう 福島。

          がんばろう 東北。

          がんばろう 日本。

          負けるな ふるさと。










                                          おわり

          ふるさとに放射能が舞う 2

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            JUGEMテーマ:車/バイク

             2011年3月11日。

            東北はM9.0という巨大な大地震に襲われました。
            地震の瞬間の出来事は、前回お話させていただいた通りです。
            今までの人生の中でも、経験したことがないような大きな揺れでした。

            2〜3分くらいだったと思いますが、永遠に続くのではないかと思わせるくらい、長く揺れ続けたのでした。

            直後には一斉に停電となり・・・
            信号機もつかない状態となりました。

            ダイハツ保原の店舗内も、全てのものがひっくりかえったような状態。
            後片付けをしようと、店舗内に入ると大きな余震に襲われ、その度にまた外に避難しました。

            ここ保原町は、まだマシな方だったようです。
            他の地域では数多くの建物が損壊しました。
            沿岸では、つなみに全てをさらわれました。

            本当に・・・本当に・・・悲惨な災害となってしまいました。


            その日の夜、福島市にある自宅へ帰るとさらに絶句しました。

            瓦は吹き飛び・・・
            壁には亀裂が入り・・・
            あらゆる食器は粉々に割れていました。
            電気・ガス・水道・・・全てダメ。

            この時期の福島は、まだまだ寒く、とてもじゃありませんが、暖房の無いところでは生活することができません。

            仕方なく、その日は車の中で一泊することにしました。


            翌日、会社に出勤して・・・スタッフ全員の家族の怪我の有無や、自宅の損壊状況などを確認。
            自宅は損壊した者が何名かおりましたが、幸い誰の家族も、怪我などすることなく無事だったとのこと・・・

            ほっと胸を撫で下ろし
            この日も会社の中の片付けに終始しました。


            私達日本人は、昔からそうだったと思います。
            戦後の焼け野原からの復興・・・
            関東大震災や阪神大震災・・・
            大きな台風にも何度も襲われてきました。

            しかし、破壊される度に、ただ黙々と復興してきたのです。

            真面目で勤勉。コツコツと努力を繰り返す日本人のDNAが流れているからこそ、出来る芸当なのだと思います。

            今回の震災後も、例外ではありませんでした。

            「悲しいけど、起こったことは仕方がない。また元通りにしよう。」

            私達はただ黙々と、現状復旧することを目指したのでした。


            この日の昼食・・・
            私は食糧の買い出しに行きました。
            スタッフ全員が、電気やガスが自宅に通っていない状態です。
            弁当など、持参できるわけがありません。
            近くのコンビニへ、スタッフ全員の昼食をまとめ買いにいったのでした。

            コンビニに到着すると、その中は物凄い人だかりでいっぱいでした。
            おにぎりや弁当はもちろん、お惣菜やパン・・・ドリンクまで商品棚から姿を消し・・・食糧といえば、多少のお菓子が残っているくらい・・・

            それは生まれて初めて見る光景でした。

            まさに世紀末のような・・・この世が終わってしまうかのような錯覚に陥ってしまいました。

            そんな光景を目の当たりにすれば、食糧不足の心配からパニックになる人がいても不思議ではないなと思いましたが・・・

            しかし、ここでも皆文句を漏らさず、レジに向かって列を作って順番待ちをしておりました。

            お菓子を抱えながら・・・

            ライフラインも停止し、はたして規律も法律もあったものかと思うような状況でも、秩序は存在しておりました。

            震災の後にどさくさに紛れて、悪事を働いた人もいたというニュースも聞きましたが・・・

            それは極めて一部の人間で、大多数の人間は、規律や秩序を守り生活していたと思います。

            災害時でも秩序を守り、礼儀正しい日本人。
            海外の報道でも大きく取り上げられていると聞きます。

            もしも、今回の震災が日本ではなく、他の国で起こったなら、これほど冷静に対応できるのか疑問に思います。

            なぜ日本人にはそれができるのか・・・
            それは「和」を重んじる民族だからなのだと思います。
            周囲との協調性を重要視するために、個人の主張を抑えることができます。
            特に田舎になればなるほど、近所付き合いなどを通して協力しながら生きていくことになります。
            日頃から、互いに連携し助け合いながら生活しているために、いつの間にか人と人の「和」を大切にしていくのだと思います。


            以前、「NOと言えない日本人」という書籍がベストセラーになったことがあります。
            その頃の日本は、バブル絶頂期。
            島国である日本から飛び出し、海外で活躍する日本人が急激に増えた時代です。

            世界に通用する日本にするために・・・ヨーロッパやアメリカの価値観を急速に学んでいきました。

            「個人主義」

            いつしか教育は「公」より「個」を優先するようになりました。
            個人の意見を尊重する社会。
            個人の個性を尊重する社会。
            個人のプライバシーを尊重する社会。

            個・個・個・・・・

            「人、一人の命は地球よりも重いのだ。」

            確かに重要なことだとは思いますが、近年は行き過ぎている感があるような・・・

            そんな教育を受けてきたせいか、最近では個人の権利をはき違えているような問題が多発しているように感じます。

            モンスターペアレントやクレーマーなんていうのも、その教育の副作用により生まれてしまったものではないのでしょうか。

            個人の権利は主張するが、義務は果たさない。

            そんな人間が増えていけば、「和」など存在できなくなります。

            はたしてそんな社会が幸せだと言えるのでしょうか。


            元来、日本人がNOと言わなかったのは・・・
            「個」よりも「公」を重視していたから・・・

            周囲の意見を尊重し、「和」を乱さないように心がけているからです。

            「和」を重んじる国民性だからこそ、混乱した状態でも他人に迷惑をかけることなく、レジの前に並ぶのです。

            こうした公共性は、日本人なら当たり前のように持ち合わせているのだと思います。

            「他人様に迷惑をかけちゃいかん!」

            幼い頃から親に口酸っぱく言われる言葉・・・それは親もまたその親に言われてきたことで・・・
            先祖代々から受け継がれてきた日本人のDNAなのであり、それこそが世界に誇れるところなのではないのでしょうか。


            私以外にも、最近の行き過ぎた個人主義を憂いていた方は、沢山いらっしゃるかと思いますが・・・

            このコンビニの列を見た私は・・・

            「日本人は、まだまだ大丈夫!!」

            そう思いました。


            そして日本人を・・・
            さらに言うと、福島県民を・・・
            あらためて誇りに思った瞬間でした。





                                                        つづく

            ふるさとに放射能が舞う 1

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              私は福島を愛しております。

              南から北へとつらなる阿武隈高地と奥羽山脈。
              豊かな自然と澄み切った青空。
              時は概ね、緩やかに流れ・・・
              素朴で実直な人が多く・・・
              都会では忘れかけた、義理や人情を重んじ生活しております。

              若い頃・・・
              都会に憧れた時期もありました。

              私の住む福島市は人口293,000人。
              けしてたんぼや畑ばかりではありませんよ。
              大型のショッピングセンターもあれば、ボーリング場や映画館だってあります。
              街中へ買い物に出かければ、ある程度の物なら全て揃えることができるでしょう・・・

              しかし、残念ながら「ある程度」までです。
              「ある程度」までの物なら手に入りますが、こだわった物までは売っておりません。

              そんなことから若い頃の私には、「何もない田舎町」にしか思えませんでした。

              多感な時期です。
              サングラス一つとっても、好きなブランドが存在し、意味もなくこだわっておりました。

              サングラスを買うためだけに、仙台や東京へと足を運び、それがかっこいいことだと思っていたのです。

              今思えば、劣等感。

              都会の人に対する劣等感です。

              田舎者の烙印を押されるのが嫌で、上っ面を着飾って生きていました。

              そして都会に憧れておりました。

              「いつか都会で華を咲かせたい。」 「早くこんな田舎町から出たい」

              そう思っていたのですが・・・

              紆余曲折を繰り返し、

              今も福島に住んでいます。


              福島が好きになってきたのは、いつの頃からだっただろう・・・

              30歳を超えたくらいからかな・・・・

              いつしか大人になるにつれて、都会への憧れはなくなりました。

              私自身が、本当の自分で勝負できるようになってきたのだと思います。

              偽物の自分ではなく

              本当の自分・・・

              若い頃、上っ面を着飾っていた道具は、一つ、一つ、どこかへと置いていきました。

              歳を重ねるごとに着飾って生きることに疲れてきたのかも知れません。

              また、あらゆる波にもまれているうちに、自分に自信が持てるようになったのかも知れません。

              田舎者で結構。

              今は福島が大好きです。

              田舎暮らしに対する劣等感が消えると、いつの間にか福島に誇りを持てるようになってきたのでした。


              人間らしく生きることができる田舎を・・・故郷福島を心から愛しております。




                                                          つづく





              平等って何?

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                この社長コラムで、マカオ旅行の話が長引いている最中に、実際のカートダイハツ保原では、様々な出来事がありました。

                先日触れた、母の手術然り・・・バルーンアート然り・・・中古車展示場のペンキ塗り然り・・・

                カートダイハツ保原は、日々変化しているのですね〜楽しい

                なんて悠著なことは、言ってられませんパー


                私、今さっき思い出したのですが・・・


                実は今年も、中学生が体験学習に来てくれていたのです。
                それを、ご紹介するのをすっかり忘れていたではないですかぁ悲しい

                いつになったら、今現在の話ができるのやら悲しい

                今年の体験学習の様子は、今しばらくお待ちください。

                今回は、それにまつわる別のお話です。


                実は、社長コラムの紙版である「社長コラム号外編」では、体験学習の様子をご報告させていただいておりました。
                (母の手術の話もそうでしたね汗


                ネットだけ見ている方には、大変申し訳ない話です。

                申し訳ありません悲しい(でもマカオの話はネットだけですよハート



                紙版の「社長コラム号外編」は、ネット版である「社長コラム」と比べてダイレクトに反応が返ってきます。

                何せ、日頃ご利用していただいているお客様の自宅に、直接送られるのですから(笑)

                体験学習の話題に触れさせていただいた号もそうでした。

                号外編を読んでいただいたお客様から、色々なご意見・ご感想をいただきました。

                同じ年代の子供さんを持つ、主婦の方からの反応が一番多かったでしょうか・・・
                本当にありがたいことですときめき



                さて、私は年に一度、体験学習に来ていただく中学生くらいしか、現在の若者とは接点がありません。

                ですから、私の若者のイメージは、そこで全てが決まってしまいます。

                今まで、カートダイハツ保原に来ていただいた中学生は、みんな真面目で、一生懸命働いてくれました。

                そして、私達の頃と比べても、各段に大人びた考えを持っていました。

                私は「素晴らしい」と思いました。


                私達の年代は、体験学習などという授業はありませんでしたが、もし存在してたら、きっと大変なことになっていたのではないかと思います。

                もっと、もっと、ガキっぽかったですし、落ち付きがありませんでした。

                受け入れ先の会社さんに、迷惑をかけていたでしょう。


                ですから、私の若者に対するイメージは凄くいいですし、
                現在の教育はとても素晴らしいのだと思っていました。


                しかし、今回、号外編を読んでいただいたお客様から、様々なご意見をいただき、今の若者の特徴や、教育のやり方などを聞いていくうちに、素直にそうとも言い切れないのかな・・・と感じるようになってきたのです。



                それは、「平等」という名の教育です。


                極力、競争を抑えて、順位を付けずに、平等に扱う。

                ある小学校の運動会では、ヨーイ、ドン。で走りだし、途中全員が追い付くのを待ってから、一緒にゴールさせるのだそうです。

                紅組、白組に分かれて競う、玉入れ競争なども、やらせるだけやらせておいて、結果を発表せずに、「両者共によくがんばりました。」で終わるのだそうです。

                聞いた話なので、裏などはとっておりませんが、本当だとしたら凄いことです。私は心底ビックリしてしまいました。


                それって教育と呼べるのでしょうか?冷や汗


                どおりで、最近「ヤンキー」を見かけないわけです(笑)

                ヤンキーや不良は、私達の年代までは沢山いました。

                彼らは、落ちこぼれだったのです。

                競争に敗れ、落ちこぼれ、それでも周囲に自分の存在価値を認めてもらいたい。

                屈折した想いは、髪型や服装や行動となって表れたのです。

                私も、落ちこぼれだったので気持ちがよくわかります。(ヤンキーではありませんでしたがたらーっ

                そもそも、競争がなければ、落ちこぼれだって生まれません。

                「ヤンキーが減って良かったハート

                短絡的に考えてしまうとそうなのかもしれませんが、どこか違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか?

                その年代に多く見られる、有り余る情熱や、反骨の精神や、屈折した感情・・・今の若者はどこで発散しているのだろうか・・・

                それとも、競争が少なくなり、そもそもそんな感情を持たなくなってしまったのでしょうか・・・


                話を戻します。
                社会に出れば、自ずと競争の原理にさらされます。

                従業員を皆平等に扱う会社も無ければ、数あるお店で平等に買い物をする消費者もいません。
                考えてみれば・・・
                社員の給料は役職や能力により差別され、消費者はよりサービスの良い店を選び消費するのです。

                競争の原理が働いております。

                その結果、若くして一軒家を所有する人もいれば、ホームレスとなってしまう人だっています。

                常に他人(他店)との競争。

                平等なんか、どこにもないじゃないですか・・・


                もっと大きな話をすれば、国同士の話し合い(外交)で、「平等に・・・」などと、生ぬるいことを言っていたら、ケツの毛までむしり取られてしまうでしょう。

                どんな国だって、自国の国民を最優先に考え、利権を争っているじゃないですか・・・

                生き残りをかけ、他国よりも少しでも優位に立てるべく、競争しているではないですか・・・


                過当競争は、確かに良くはないかもしれませんが、「平等」に慣れてしまった若者たちは、将来どうやって厳しい世の中を渡り歩いていくのだろう・・・

                諸外国に負けずに、日本の国体を守れるのだろうか・・・


                なんか、非常に不安になってしまいました。


                競争も均等も、程度の問題なのだと思います。
                どちらも、過度に偏ればどこかにしわ寄せがきてしまうと思うのです。


                もしも、平等を目指すのであれば、教育からではなく、社会からではないのでしょうか。
                格差を減らし、中流家庭と呼ばれる層を増やし、多くの人が「そこそこ幸せ」な社会を構築してから、平等教育を始めなければ、多くの若者は成人してから騙し撃ちのような目にあい、希望が持てなくなってしまいます。


                若者は、日本全体の宝。
                私達は、時に優しく、時に厳しく、時に突き放し、育てていかなければなりません。

                自分のエゴだけを通したがる、モンスターなんたらとか言う人達の影響なのかなぁ・・・





                私は、かけっこや玉入れの結果を平等にする意味がわかりませんしょんぼり

                だって人間は、負けを知ることにより、這いあがれるのです。

                人格を形成する、一番大切な時期に負けを学べないのは、将来致命的になりませんか?

                先生は、生徒たちに接する、愛情だけを平等にすれば、それでいいような気がしますけどね・・・



                今回、カートダイハツ保原に体験学習で来てくれた中学生は、非常に素直で真面目な学生さん達でした。
                いつの時代でも、若者たちの目は透き通り、混じり気がありませんときめき

                「この先、かぶれたらアカンぜ」

                いつだって、若者達を正しく導くのが大人の役割です。

                勉強しなければいけないのは、私達、大人の方なのかもしれません。



                さくらの花に日本を感じる

                0
                  本日ここ保原町は、朝から雪が降っております。

                  4月も中旬を過ぎたというのに・・・・寒いのなんの悲しい


                  寒さはなんとか我慢したとしても、私には大きく気がかりとなることが、一つばかりありました。


                  さくらの花ですパー汗



                  少し前から、福島でもさくらの花が咲き始めたようです拍手


                  ああ・・・ゆっくりとさくらの花が見たいなぁ・・・


                  と思っていた矢先にこの雪です冷や汗

                  通常は、気温が低い方が、さくらの花は散りにくいようですが・・・どうなのでしょうしょんぼり

                  こんなに、雪が降ってしまっては、一斉に花が散ってしまわないか心配ですしょんぼり

                  ここ数年、仕事に追われて、ゆっくりと花見をする機会を失ってしまっておりました。

                  今年こそは、さくらの花が見たいのですショック


                  ちなみに、心が病んでいる訳ではありませんよ(笑)


                  私もまだ若い頃には、さくらの花に思い入れなどなかったのですが、年々、歳を重ねるごとに特別な感情をもつようになってきました。


                  でも、これって私だけじゃないですよね?


                  おそらく、ある程度の年齢を重ねた日本人ならば、さくらの花には、他の花にはない、特別な感情があるのではないでしょうか。


                  昔から和歌や俳句には、春の象徴としてさくらの花が用いられますし、100円硬貨の表面にはさくらの花が描かれております。

                  警察や軍隊の紋章もさくらの花ですねパー


                  なぜ、さくらはこれほどまでに、私達の生活に深く根差し、私達の心を掴んで離さないのでしょう。



                  さくらの花の開花期は、地域や種によってバラつきがあると思いますが、大体3月の中旬から5月の中旬頃まで。

                  ちょうど年度替りをまたぎます。

                  年度末は別れの季節。
                  新年度の始まりは出会いの季節。

                  切なかったり。
                  悲しかったり。
                  嬉しかったり。
                  希望に満ち溢れたり。


                  それらの感情が、ある程度の時間が経過することにより、さくらの花の風景と共に、特別な感情として思い起こすのではないのでしょうか楽しい

                  私は、思い出したくないような・・・

                  若気の至りとしか言いようがないような・・・

                  そんな過去が蘇ってきますが・・・たらーっ


                  しかしそれも今では、年を重ねるごとに、浄化され、キレイになり、さくらの花を特別に思うひとつの要因としてのみ、残っておりますグッド



                  さて、もうひとつ、さくらの花が他の花と違い、特別だと思われることがあります。

                  それは、寿命の短さですパー


                  花見会場などによく使われる「ソメイヨシノ」などは、1週間で花が散ると言われております。


                  見頃となる満開の瞬間は、本当に一瞬で終わってしまいます冷や汗


                  だから、美しいのではないのでしょうかグッド


                  しかし、こういった感覚は日本人固有のもののようです。
                  外国の方には、理解できない感覚のようですパー


                  日本と他国の間には、どういった違いがあるのでしょうか・・・


                  それは、おそらく・・・「武士道」という教えがあったかどうかの違いになるように思います。


                  私達日本人は、気がつかないうちに、昔からの教えに感化されながら、生活しているのではないでしょうかパー


                  その中には、武士道も入っているのだと思います楽しい


                  武士道には、「あさりの精神」というものがあります。

                  あさりとは、読んで字のごとし。あっさりの事です。

                  しかし、日本語ではありませんパー

                  日本が台湾を統治していた時代に、潔い、あっさりとしたという、武士道の精神が台湾人に受け入れられ、台湾語として残ったそうです。

                  現在の台湾においては、褒め言葉として使われている言葉だそうです楽しい


                  武士は、石にしがみついて長生きするよりは、その時が来れば死を受け入れる。未練を持たず、自然に身を任せ、あっさり死ぬことに美徳を感じたのかも知れません。

                  あっさりしたものは、儚い。

                  潔いものは、美しい。


                  そんな、美的感覚が、現在の日本人の中のDNAにも、少なからず宿っているのかも知れません。


                  確かに、よく考えてみれば、寿命の短いものには、特別な感情が芽生えます。


                  セミなんかもそうですよね。


                  さくらは、一瞬にして咲き乱れ、一瞬にして散ってしまうから・・・
                  その一瞬が、儚くもあり、美しくもあるのだと思います。



                  あっさりしてるのです。



                  さくらを見て、感じるもの・・・


                  それは、日本人の情緒。



                  私は情緒を感じたいのかも知れません楽しい



                  この雪で、散っていなければ、さくらの花を見に行こうハート



                  今年は、一人きりでゆっくり眺めてみたいと思っております楽しい









                  コラムの意義

                  0
                    今年に入ってから、どうにもおかしいしょんぼり

                    以前までと比べて、あきらかに会合や、集まり、遠方への出張、などの回数が増えているのです。

                    本当に、まともに店に居られる時間がどれほどあるのか・・・


                    私の身に何が起こっているのだろう・・・自分自身でも分かりません冷や汗

                    このコラムも、更新できない日が多くなってきました汗

                    こんな拙いコラムでも、一部の方には楽しんでいただいているようで、その方のことを思うと、胸が痛みます悲しい

                    こんな中途半端な形なら、いっそ止めてしまうかなと思う時もありますが、いやいや・・・まだ役目は終わっていないとも思いますショック

                    カートダイハツ保原がオープンした翌年から始まり、楽しい時も、辛い時も、嬉しい時も、苦しい時も、地道に更新を続けてきました。

                    会社の成長、スタッフの成長、私の成長、クウさんの成長・・・時を重ねるのと同じように、映し出されています。

                    最近のクウさんの写真を、昔の写真と比べてみると、あきらかに大人になっています楽しい

                    そんな、カートダイハツ保原の物語が凝縮された、社長コラムはけして止めてはいけない、私の重要な仕事のうちの一つなのだと思いますグッド



                    よぉぉし、まだまだこれからも続けていくぞぉ〜楽しい


                    次回は、先日大阪に出張に行った話をアップしたいと思いますパー

                    久し振りの長編になる予定なので、気合を入れて頑張りますハート




                    どこに誇りを感じるのか?

                    0
                      年が明けてから、何かと忙しい日々を送らせていただいている私。

                      本当にありがたいことです。

                      しかし、社長コラムの更新がままならなくなってしまうのが、玉にきず悲しい

                      何人かの方に、「楽しみにしてるんで、更新よろしくお願いしますねハート」と念をおされてしまいました。悲しい

                      申し訳ございません。

                      精一杯がんばります汗


                      さて、先日の話ですが、福島民友・福島民報の、地元の新聞両紙にカートダイハツ保原が取り上げられましたチョキ

                      毎年開催される、福島ダイハツ販売管轄の販売店大会で、スーパーピット店の認定と優秀販売店として表彰されたことが記事となったのです。
                      (スーパーピット店とは、ダイハツ販売店の中でもランク分けがあり、その中で最高ランクに位置するお店ということ。)

                      しかし、オープン以来、毎年表彰されているので、感覚がおかしくなっているというか・・・
                      あまり特別な感情を持っていないというか・・・固執していないというか・・・
                      私も含めスタッフ一同、あまり話題にもならず、いつの間にか過ぎ去ってしまいましたしょんぼり

                      しかし、新聞に掲載されると、それを見た様々な方から反響をいただけるので、変にビックリしてしまいます。


                      「表彰おめでとう拍手


                      突然電話口から、言われると・・・しょんぼり?しょんぼり?しょんぼり?一瞬なんのことか分からなくなってしまいます。

                      そのぐらい、疎くなっているのですしょんぼり

                      日頃の業務に追われて、ゆっくりと、喜びをかみしめている暇もないというのもひとつですが・・・・


                      しかし、以前からお話させていただいているように、「販売台数ありき」
                      という考え方を当店ではしておりませんパー

                      自動車業界の中でも、特に販売店では、「沢山売ってなんぼ」という考えがあり、表彰されるのも年間の販売台数が基本となりますパー

                      確かに、販売会社なのですから、いくら綺麗事を並べても販売実績がついてこなければ、存在価値を否定されたのも同じなのかも知れません冷や汗

                      それはそうなのですが、私としては、販売台数はあくまでもひとつの目安。それよりも、ひとりひとりのお客様に、どれだけ満足していただいているか。
                      そちらの方が重要なのだと思っております。

                      私は、
                      販売台数が多い店=いい店  
                      にはつながらないと考えます。

                      しかし逆に
                      いい店=販売台数が多い店
                      にはつながると考えております。

                      「カートダイハツ保原は、皆から愛されるいい店だから、いっぱいクルマも売れるらしいよグッド


                      私は、「いい店だね」って言われたいのです悲しい

                      その言葉は、100の賞状にも勝ります。

                      そして、100の賞状をもらうより難しいことだとも思います。


                      賞状はカートダイハツ保原の矜持(きょうじ)にはなりませんパー

                      ひとりひとりのお客様の笑顔こそが、カートダイハツ保原の矜持となります楽しい


                      これからも、その努力を怠ることなく、ゴールのないマラソンを続けていく所存ですパー

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